マエストロ: その音楽と愛と

「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲家でもある巨匠指揮者レナード・バーンスタインの、愛する妻フェリシアとともに歩んだ生涯をブラッドリー・クーパーが監督・脚本・主演で映画化。

彼の、バーンスタインを演じていることへの喜びに満ち溢れている映画!というのが第一の感想。インタビュー記事を読んだら、いつもクラシック音楽が流れる家庭で育ち、特に指揮者に魅了され、子供の頃は何時間もオーケストラの指揮をするふりをして楽しんでいたそう。中盤の最大の見どころ、大聖堂でマーラーの交響曲を指揮する長回しのシーンの、演奏が終わった直後の至福の表情に、偉業を終えたバーンスタインの満足ではなく、ブラッドリー・クーパーの演じきった喜びを見て取ってしまったくらいです。

そんな隠しきれない喜びを抱えて演じるには、目の前の人に100%の愛情を注ぐような生き方を見せるこの映画のバーンスタインは適役だったように思います。印象的だったのは生徒に指揮を教えるシーン。その生徒が求めている表現を導き、習得できたことを一緒に喜ぶ。映画『TAR/ター』でのリディア・ターの生徒との接し方との何たる違い!

フェリシア役キャリー・マリガンの存在が、この映画を伝記ものにせず、愛の複雑さを描く映画にしました。夫が指揮するステージの舞台袖でその姿をじっと見つめるシーンが何度かあるのですが、あるシーンでは、その佇まいに、女優として輝いていた自分が夫の後ろで日陰の存在になった苛立たしさが表れ、別のシーンでは、夫の才能に改めて感動し、一番近い距離にいられることの幸せが表れます。中盤の見どころ大聖堂のシーンも、キャリー・マリガンが見せた表情が一番鮮明に記憶に残りました。

レザボア・ドッグス

クエンティン・タランティーノ、監督デビュー作。宝石店襲撃に失敗した強盗たちが失敗の原因を探り合う過程を、二転三転するストーリーで描き出す映画です。

冒頭7分間の“無駄話”シーン、ブラック・スーツ+タイ+サングラスの男たちが闊歩するオープニングロール、コードネームが付けられ、互いの名も素性も知らない設定、その中の主要3人のチーム加入のいきさつが語られるシーン、そのシーン挿入のタイミング、セリフまわし、音楽、もう、全てがクール!見せない美学。見せ方の美学。シビれます。

あまりにもアクの強い俳優陣の中で、当時は印象が薄かったティム・ロスが、こんなに凄かったなんて。目の動きの演技が凄い。彼こそがMr.オレンジ!

観に行く前日に、当時この映画を全力で薦めてくれた先輩と何と約30年ぶりに再会する機会が訪れたんです。尽きない映画談義。変わらず私の映画の師匠のひとりでした。

そして観た翌日には、映画を語り合うお仲間と本作の感想交換。映画では明かされないMr.ホワイトの過去を推測したというご感想に目から鱗!なるほど!そうであれば、あの時のあの行動が理解できる!

その後突然、初めてLAに旅行した時に、タランティーノが昔働いていたマンハッタンビーチのレンタルビデオ店を探しに行ったことを思い出しました。すっかり忘れていましたが、私、相当タランティーノ好きだったんですね。

今は、映画のラスト、最後の銃弾が誰が誰を撃った音だったのかを語り合いたくて仕方ありません。どなたか相手になっていただけませんか?

枯れ葉

ヘルシンキの街で、名前も知らないまま惹かれ合った男女が、不運なすれ違いと辛い現実に阻まれながらも互いへの想いを持ち続け、まわり道を重ねるラブストーリー。

無表情の登場人物。動かない画面。沈黙。多くは必要ない、ほんの少しの要素があれば大切なことはちゃんと伝えられる。そんなアキ・カウリスマキ監督映画が大好きです。

本作でグッときたシーンのひとつが、ようやくホラッパに再会したアンサが、彼を自宅でのディナーに招くためスーパーで食器を買うシーン。1人分の食器しか持っていなかったこれまでの生活が変わる、そんな幸せな希望が新しい食器をカゴの中に入れる彼女から滲み出てくるのです。無表情なのに。

彼女の家に行く前に、ホラッパが友人に自分のより少しだけ質の良い上着を借りるシーンもグッときます。勿論ふたりは無表情。

本作では度々、ウクライナの戦況のニュースがラジオから流れます。2002年、入国ビザ問題でNY映画祭に出席できなかったイランのアッバス・キアロスタミ監督へのアメリカの対応に反発しカウリスマキも映画祭をボイコット、『過去のない男』が外国語映画賞にノミネートされた翌年の米アカデミー賞授賞式も欠席、当時のカウリスマキの言葉「映画は世界を忘れるための娯楽ではない」を思い出しました。

でも、映画の中で自己の主張や思想を声高に唱えてはいません。カウリスマキ映画の中心に存在し続けているのは、やはりラブストーリーです。本作のチラシに書かれたキャッチコピーは「愛を、信じる」。本作のラストシーンを思い出すと、これ以上ぴったりの言葉は浮かびません。

PERFECT DAYS

今年のマイベスト級の映画!

降り注ぐ木漏れ日。そして習慣通り就寝前に本を読む男と、畳の部屋の窓の仄かな灯りが示す、同じ時間に東京の空の下にいる人々の存在。このチラシが映画の世界を見事に表現しています。

毎日決めた時刻に決めた行動を繰り返す…そういう暮らしを選んだ主人公。
でも、同じ日々を重ねることは「何も変わらない」とは全く違うし、
同様に、誰かと出会い同じ時間を共有すれば、その時間は濃くなって、それぞれの人生を変える。変わらないはずはない。

そんなことを顔の表情だけで見せてくれる役所広司。凄いです。

焼きそば酒場、お疲れちゃんの店主、銭湯のおじいさんなど笑えるシーンもあり、主人公が姪と過ごすひとときには心が温まります。カセットテープ、腕時計、「11の物語」、コンビニのサンドイッチなど、数多くの印象的なアイテムを思い出すのも楽しい。

ヴィム・ヴェンダース監督の35年前の映画『ベルリン・天使の詩』で、モノクロームの世界にいた天使が人間になり初めて知る色彩や、人と触れ合う感覚や、朝のコーヒーの味に感動するシーンを観て、日々が新鮮になったことを思い出しました。本作も観終わったあと、日々を丁寧に、暮らし重ねていきたいと、新鮮な気持ちになりました。

ポトフ 美食家と料理人

メニューを考案する美食家ドダンと、それを完璧に再現する料理人ウージェニー。料理への情熱を共有するふたりと、料理が主役の映画です。

調理過程、運ばれる料理、食する様子が、劇伴なし、会話も最小限に映し出される冒頭20分で、この映画にすっかり心を掴まれました。

クリエイティブなメニュー、食材への知識、手際のよさ、使い慣れた調理具を操り、仕上げの盛り付けのセンス!一方、目で楽しみ、食して幸福感に包まれる人々の表情!この映画は、人のお腹と心を満たして料理は完結するということもこだわって描いています。

そして、ドダンの料理を表現する言葉の美しさ!でも、料理人ウージェニーは、決して料理を言葉に換えません。どうぞ味わって。好きなように感じて。なんですね。

料理人の素質を持つ少女ポーリーヌの存在も重要でした。ドダンは調理過程で彼女に「この味を覚えておきなさい」と言い、味の変化を学ばせます。クセの強い食材に対しても同様にし、やがてこの美味しさがわかる時がくると教えます。料理は伝承であり学びです。

料理の魅力の全てを気づかせてくれる映画ですが、ドダンとウージェニーの愛のかたちにも魅了されました。特に映画の最後の台詞!ふたりの関係が見事に表現された完璧な台詞です。

監督はトラン・アン・ユン。デビュー作『青いパパイヤの香り』(1993)が大好きですが、本作では、料理を介してさらに深い愛を見せてくれました。