ある一生

20世紀初頭、アルプスの人里離れた農場に引き取られた孤児のエッガー。暴力と貧困に耐えた幼少期。農場を出て渓谷に住処を持った青年期。最愛の人と出会い、戦争ではソ連軍の捕虜になり、近代化の波を見つめる晩年期。

いくつもの試練に誠実に向き合い、選んできた道を黙々と踏みしめながら生き抜いた男の、80年にわたる一生が描かれます。

原作小説も読んでみたいと思っています。でも、こんなに激しい感動は、間違いなく映画ならではのもの!

幼いエッガーが馬車に乗っている姿をずっと後ろから映し続ける印象的なオープニング。その後も度々登場する彼の歩く後ろ姿のシーンで、彼が背負うものと彼が働き続けていることを背中に象徴させ、時代ごとに演じ分ける3人の俳優(全員が素晴らしい!)の入れ替わりにも背中のシーンを使うという表現は、映画でしか味わえません。

そして、背景ではなく主役のひとつとして全編に存在し続けるアルプスの山と谷。どうやって撮影したのだろうと驚くほどの美しさと残酷さに鳥肌が立ちました。

映画が見せてくれた彼の一生が、脳裏に焼き付いて離れません。

(2023年/ドイツ=オーストリア/監督:ハンス・シュタインビッヒラー)

幻の光

是枝裕和監督の長編デビュー作であり、1995年12月9日から14年間存在した渋谷のミニシアターのオープニング作品。今年1月に能登半島で起きた地震で大きな被害を受けた本作の舞台でもある石川県輪島市への、支援を目的としたデジタルリマスター版劇場公開です。

記憶には、時と共に場所や風景が刻まれます。その時自分がいた場所や、背景に広がっていた風景は、記憶を永遠に忘れさせてくれない残酷さがありながら、今、自分が生きていることを実感させてもくれる。映画を観ながらそう強く思いました。そして、ラスト近くの印象的なセリフが観終わったあともずっと残り、幻の光とは何なのか、29年ぶりの鑑賞で私なりに理解できた気がしました。

ひとりの女性のささやかな幸せに包まれた日常が突然失われ、やがて形を変えた日常が生まれるという物語のなかで、子供たちが新たな家族の形に馴染んでいく様が映画の持つエネルギーに繋がっているところに、是枝監督作品の真髄を見出しました。

(1995年製作/日本/監督:是枝裕和)

時々、私は考える

『スター・ウォーズ』シリーズでレイを演じたデイジー・リドリー主演&プロデュース。人付き合いが苦手な主人公フランの人生が、ある出会いによって変わっていく過程を描きます。

自分の世界に閉じこもるフランには、共感するところがなかなか見つかりません。「これは本当に望んでいた自分?」と悩むヒロインなら、2年前に公開した映画『わたしは最悪。』の、もがき、選択を繰り返し、行動せずにはいられないユリアには、終始共感しっぱなしでした。

でも、フランの恋には夢中に!相手のロバートが素敵なんです。フランの個性を愛しみ、彼女と自分の考え方感じ方が違った場合でも、同じ場合でも、どちらも受け入れ楽しみます。ロバートの存在で、思いを寄せる人との距離が近づく嬉しさと戸惑い、変化する喜びを思い出させてくれる映画になりました。

時々、フランは死について考えます。生きていることを考えるために。

幻想的な映像で見せる死の心象風景と、ありふれた日常の景色とのコントラストが面白かったです。(2023年製作/アメリカ/監督:レイチェル・ランバート)

ロイヤルホテル

観終わった後の気持ちを上手く表現できません。どよん?ざわざわ?

旅先のさびれたパブで住み込みで働くことになった親友2人が経験する、客たちからの女性差別。エスカレートして結末へとなだれ込みます。長編デビュー作『アシスタント』で若い女性アシスタントの会社での1日を赤裸々に描いた キティ・グリーン監督は、今回も男性社会における女性の立場をあぶり出しました。

両作に共通するのは、生々しさ。ドキュメンタリー監督出身の彼女は、前作では主人公と同じ経験を持つ多くの女性社員たちを取材。今回は田舎のパブでよく過ごしている男性との共同脚本というスタイルを取ったそうです。

『ロイヤルホテル』に関していえば、女2人の男性社会からの解放のロードムービーとして『テルマ&ルイーズ』を思い出しましたが、本作には、ハーヴェイ・カイテル演じる刑事のような2人を理解しようとする男性は一切登場しません。ブラッド・ピットがクズ男を演じればたちまち愛すべき青年になりますが、本作のクズ男は、ただのクズ男。本作に生々しさが漂う理由が理解できます。

観た後の気持ちを上手く表現できませんが、観た人と無性に語りあいたくなる映画です。

(2023年製作/オーストラリア/監督・共同脚本:キティ・グリーン)

クレオの夏休み

なんて温かい映画だろう!クレオが、ナニー(乳母)のグロリアに抱きしめられている時に感じていたはずの大好きな人のぬくもり。その温かさが私の身体にも伝わってくるようでした。忘れられない83分の映画体験です。

グロリアは、家族を養うためにフランスに渡った経済移民。故郷に戻った彼女のもとを訪ねたクレオは、グロリアの娘に子供が生まれたり、出稼ぎの母との距離を埋められず反抗する息子を知ったりするうちに、彼女の苦しみに胸を痛めたり、寄り添いたいという気持ちを持ったりします。それは、実親との関係とは違う思いやりの感情。6歳のクレオの、成長の夏休み。

クレオと同じくらいの歳の頃、家族ぐるみで仲良かった幼馴染みのお母様がこっそり泣いているのを見たことがあります。その時の自分なりに、泣いている理由がわかり、理由がわかったことを知ってほしくて、その場にずっと居続けたという記憶が鮮明に蘇りました。その方に、その時のことを話したくて仕方なくなってきました。

(2023年製作/フランス/監督・脚本:マリー・アマシュケリ)

ルックバック

3年前に原作を読んだ時の衝撃は忘れられません。「もしも、こうだったら」というあり得たかもしれない世界を描くことによって、夢なかばで未来を奪われてしまった人々の魂を救った凄い漫画!ちょうど同じ頃に映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観たということもあって、映画や漫画や小説といった創作物が持つ、現実とは違う別の人生を誰に対しても与えることのできる力に圧倒されました。

そして3年ぶりに再び『ルックバック』。今回の劇場アニメには、作品の持つ力以上に、藤野と京本の存在感に圧倒されました。ふたりの、絵が上手くなりたいと努力する姿!そして相手の存在が自分を奮い立たせるという関係性!原作者 藤本タツキさんの創作物に多くのスタッフや声のキャストたちがさらに生命力を注ぎ込んだことで受け取ることのできた感動でした。

私も好きなことのためにもっと努力したい、好きなことがもっと上手くなりたい、という気持ちを持たせてくれた凄い映画です。

(2024年製作/日本映画/原作:藤本タツキ/監督:押山清高)

フェラーリ

自動車メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリが最も苦境に陥った1957年。業績不振で会社経営は危機に瀕し私生活も破綻。窮地の彼が起死回生をかけて挑んだレース“ミッレミリア”の真相と、その後の顛末が描かれます。

車体のフェラーリ・レッドは目の覚めるような美しさ。でも、車体が路面に作り出す黒い影が全体を覆っているようなイメージが残る、暗く危うく緊張感に満ちた人間ドラマです。

そして夫婦のドラマ。

監督はマイケル・マン。『ヒート』のアル・パチーノとロバート・デ・ニーロ、『インサイダー』のラッセル・クロウとアル・パチーノなど、2人の男の緊迫感あふれる対決を描く作品が多いですが、本作は、アダム・ドライバーとぺネロ・クルス、男女ふたりの俳優の演技が見どころです。

アダム・ドライバーは、『ハウス・オブ・グッチ』に続く容姿を活かした役どころでカリスマのプライドと焦りを体現。そして、幼い息子との会話シーンで、車に乗って勝つことより車の構造を理解して早く走らせることが好きという自分の話に、熱心に耳を傾ける息子が愛おしくて仕方ないという演技が印象的。一貫して冷徹な人物として描かれるフェラーリの、別の一面が現れます。

そして、共同経営者であり妻であるラウラを演じたペネロペ・クルス。疲れ果て常に怒りに満ちた形相の彼女が、ある決断を夫に話す映画のラスト近くの長台詞シーンで、はっとするほど美しく輝きます!女として、母としての強い生き様に惚れ惚れしました。まさに『オール・アバウト・マイ・マザー』です。

(2023年製作/アメリカ映画/監督:マイケル・マン )

クワイエット・プレイス:DAY 1

「音を立てたら即死」というキャッチコピーがインパクトを放った『クワイエット・プレイス』。音を立てるもの全てに襲いかかる“何か“が大群で現れ、世界が崩壊するなか、“沈黙”を守り生き抜こうとする者たちを描くサバイバル・ホラー。本作はシリーズ3作目にして1作目の前日譚です。

異常な状況のなか、身重の女性が出産し、家族を守り、今度は子供たちが家族を守ることで成長するのがシリーズ1作目と2作目。極限状態の中だからこそ描ける“母の強さ“にシビれました。このシリーズが好きなのは、恐怖の要素以上に感情に訴えてくる、エモーショナルなところなのです。

そして本作は、重い病気を抱えた女性が主人公。彼女の行動に意表を突かれます。それは、生き抜くためのサバイバルじゃない。救助の先に向かって全生存者が逃げるなか、彼女だけが逆の方向に、人とぶつかりながらも走り続けます。世界の終わりを知るDAY 1に、彼女はどこに向かおうとして、何をしようとするのか。それが終盤になってわかった時、目頭が熱くなりました。

偶然出会ったイギリス人青年との間に生まれた絆にもシビれます。そして、彼女の相棒の猫!猫は、鳴かず音も立てずに歩くので、平常心の象徴であり癒しとなって存在し続けます。ふと姿が見えなくなっても、彼女が必要とした時に必ず戻ってきて、傍にいてくれました。

(2024年製作/アメリカ映画/監督: マイケル・サルノスキ )