連載①ミニシアター系映画史について

 4月7日に発令された政府の緊急事態宣言が、5月25日をもって全都道府県解除。東京都が本日6月1日よりステップ2に移行したことにより、全国の多くの映画館が営業再開となりました。再開を模索中の映画館も含め、ウィズ・コロナの状況下で映画と観客が出会う場所をどのように運営し続けていけるのか。そして、映画配給や映画製作も含め、映画に携わるあらゆる企業や個人の苦難はこれからも続きます。

 この約2か月間、「ミニシアター」というワードを本当に多く目にし耳にしました。そのたびに私は、自分が今できること、すべきことを見つけて実行したいという思いに駆られました。

 私は、某ビデオメーカーに勤めていた時に、<ミニシアター系映画専門レーベル>を立ち上げ、ブランドとして育て、ラインナップ作品を編成しパッケージ(ビデオ、DVD)をリリースする仕事をしました。立ち上げは1997年1月。ミニシアター・ブームの成熟期といわれた時代。映画パッケージ業界で唯一存在する専門レーベルとして、トータル90作品の映画をリリース、2006年3月まで約9年間運営しました。

 その時に収集した関連資料のひとつとして、1991年から20年分の「ミニシアター公開映画年間興収ベストテン」データ※を保存していました。そこで、このデータをもとに特集コラムを連載的にあげていくことを思い立ちました。特集名は「ミニシアター系映画史」。その年にミニシアターで公開した映画を対象に、メイン館1館で上げた興行収入ベストテンを紹介。10本から見えてきたその年のトピックスをまとめます。

 勿論、ヒットした映画が大事というわけではありません。ミニシアター史において外してはいけない映画がヒット作だけではないことは、言うまでもありません。そして、このデータの決定的な欠点は、メイン館の殆どが東京の映画館であり、且つ私が東京在住なので、全国各地のミニシアターについて言及することができない点です。そこで、それらの欠点をしっかり意識して、ベストテン以外の作品の数々や映画にまつわる記憶が連鎖的に思い出せる、思い出していただけるようなコラムを書くつもりです。

 そして途中途中で、今回のこの特集コラム連載の目的や、ミニシアター系映画史のまとめなどを書こうと思っています。

※文化通信社発表

『1917 命をかけた伝令』

駆け抜けた ふたりの役者魂

 日本でも劇場版が公開したTVシリーズ「ダウントン・アビー」は、イギリス郊外のダウントン邸に暮らす伯爵一家と使用人たちが織り成す人間ドラマで、時代を色濃く反映しながら物語が展開するところが見どころのひとつです。シーズン1は第一次大戦への英国宣戦布告で終わり、シーズン2は、西部戦線の凄まじい塹壕戦シーンから始まります。海外ドラマの魅力のひとつは、シーズンを通して登場人物ひとりひとりが丹念に描かれること。すっかり親近感を抱いた彼らが戦場で過酷な体験をする様子は、観ていて辛いものでした。

 『1917 命をかけた伝令』の舞台は、同じく第一次大戦下、膠着状態の西武戦線の英国軍。ふたりの若い兵士が、最前線にいる1600人の軍隊に明朝の攻撃の中止を伝えるため、8時間で戦線を駆け抜ける。映画が始まってから程なくして最初のドイツ軍塹壕跡を無事突破するあたりまでの間に、私はすっかりこのふたりに情が芽生えていました。物静かな年上のスコフィールド、愛嬌のある19歳のブレイク。目的の地へ一刻を争いながら無法地帯をただひたすら進むふたりだけでの任務で、積み重ねていく苦難の共有、短い会話。その時その時の行動や反応、表情で、それぞれの個性がはっきりと見えてくる面白さ。ふたりの心が通い合っていくことの嬉しさ。そして、思いもかけない展開を知った時のショック・・・。カメラが常に彼らに伴走するワンカット映像が特別な没入感をもたらし、ふたりへの思い入れで映画に没頭していきました。

 この映画におけるワンカット手法は、奇跡的な映像世界を生んだだけではなく、役者から、役がのり移ったような演技も引き出しました。本作の撮影準備には通常の映画の5倍の時間がかかり、そして、俳優は通常の50倍のリハーサル回数を重ねたそうです。「俳優たちはその間、演技が肉体の経験として積み重なっていく。舞台の場合、本番で同じ演技を繰り返すうちに表現が研ぎ澄まされ、役に命がこもるが、今回は映画でその過程を実感できた」と、サム・メンデス監督がインタビューで語っています。そして、スコフィールドとブレイクを演じたジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンも「カットなしで撮影していると、完全に我を忘れて、役になりきる」と語っています。そんな彼らの演技が、私を本作にのめり込ませてくれたのだと思います。

 配給会社が公開しているメイキング映像も必見です。俳優が360度見回すので照明器具が置けない問題をどう解決したのか。川のシーンで水面に不自然な波を立たせないためカメラクルーはどう動いたのか。センチ単位で正確さを求められたセットのサイズ。繰り返される段取りの確認。そんなスタッフたちを信頼しながら、自分が果たすべき役割に全力を尽くし前へ前へと走り続けた俳優たち。本作が心に深く響いた理由を、はっきりと知ることができました。

 

ワンカット手法が表現しうること

『ウトヤ島、7月22日』

 昨年のちょうど同じ時期にも、ワンカットという手法を用いた映画を観ました。『ウトヤ島、7月22日』です。単独犯による史上最悪の短時間大量殺人事件となった2011年7月22日のノルウェー連続テロ事件。犯人は、ウトヤ島でキャンプ中の300人の若者たちに無差別に銃を乱射。69人が命を落とした惨事を、ひとりの高校生を主人公に事件の経過と同じ72分をワンカットで描いた作品です。 

 この事件を描くべき唯一の手法だった、と、ノルウェー出身のエリック・ポッペ監督は語っています。「映画と観客の間を隔てるものは何も置かない、と決めた」。周囲のパニック状態、銃声と悲鳴、近づいてくる犯人の気配。誰もがただ逃げるのに精一杯だったことに、映画を観て異を唱える人はいないはずです。この事件で生き残ったことに罪悪感を持っている人が多くいるという記事を読み、この映画が、何らかのかたちでその人々の心を救うことになるよう世の中に影響を与えてほしい、と、祈らずにはいられませんでした。

 ところで、TVシリーズ「ダウントン・アビー」のシーズン1第1話冒頭にも印象的なワンカット映像が存在します。朝、階下の使用人たちが機敏に邸内を移動しながら、階上の伯爵一家の目覚め前までに完璧に支度を整える。あたかも自分が彼らと一緒にダウントンを歩いている気分になり、これから始まるドラマへの期待が膨らみます。『劇場版 ダウントン・アビー』は、このコラムでも是非紹介したいと思っています。

『1917 命をかけた伝令』

2019年/イギリス・アメリカ/製作・監督・共同脚本:サム・メンデス(『007 スカイフォール』『アメリカン・ビューティー』)/撮影:ロジャー・ディーキンス(『ブレードランナー 2049』『ファーゴ』『ショーシャンクの空に』)/出演: ジョージ・マッケイ(『はじまりへの旅』)、ディーン=チャールズ・チャップマン(『リピーテッド』)、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ、アンドリュー・スコット

『ウトヤ島、7月22日』

2018年/ノルウェー/監督:エリック・ポッペ(『ヒトラーに屈しなかった国王』『おやすみなさいを言いたくて』)/出演:アンドレア・ベルンツェン

『パラサイト 半地下の家族』

嘘で終わらせない 正直な結末

 『殺人の追憶』を観た時の衝撃は今も忘れません。1986年ソウル近郊の農村で実際に起きた未解決連続殺人事件。犯人に翻弄され追い詰められていく刑事たちの焦りが、不穏な時代の空気を纏いながら伝わってくる映像描写。事件に永遠に取り憑かれてしまった刑事の顔が目に焼きつき、過去に囚われる恐怖について考え続けました。「観たことを終わらせてくれない映画」でした。2004年3月日本公開。ポン・ジュノ監督長編第2作です。

 そのあとに観た長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』にも夢中になりました。シニカルでポップなストーリー展開は勿論、独創的な構図やディテールがいちいち面白い。マンションの左から右、上から下への追いかけっこ。雨合羽の少女の絶妙なフードの被り方。DVDには監督の絵コンテと本編のシーンを見比べる特典が収録されているのですが、ひとつひとつのカットに迷いのない完成形が存在することに気づき、『殺人の追憶』でも、土手の草むらから人の足元を見上げるような構図や、トンネルの向こう側に佇む人影の見せ方など、力のある画がいくつも存在したことを思い出しました。

 長編3作目の『グエムル-漢江の怪物-』は、家族の深い絆が時に滑稽に、時に常軌を逸して描かれる点と、女性(少女、あるいは母)のたくましさ、というポン・ジュノ作品の魅力がはっきり掴めた作品でした。そして、「食事のシーンが素晴らしい映画に傑作多し」という持論が確立した作品。家族が食卓を囲んでインスタント麺をすするシーンには鳥肌が立ちました。

 『パラサイト』は、国外製作が続いたポン・ジュノの『母なる証明』以来10年ぶりの韓国映画。世界が直面している格差社会への批判以上に、身近なところに強烈なドラマが潜んでいることの面白さをこの映画から受け取りました。ふたつの家族の対比の描写。裕福な一家への侵入を嬉々として楽しんでいた家族が、初めて憎悪や不安を抱いた瞬間。その時から表情が一変する役者たちの圧巻の演技。そして、想像を絶する展開に唖然となる快感。波のように押し寄せる映画の醍醐味にぐいぐい引き込まれていきました。

 来日インタビューで、ソン・ガンホがポン・ジュノ作品の特徴を聞かれ、「嘘で終わらせない正直な結末」と答えていたのが印象に残りました。『パラサイト』の結末に、私は、生存をかけた争いから抜け出せない半地下の家族に対するポン・ジュノ自身の祈りのような想いを見出したからです。心に突き刺さるようなエモーショナルなラストのワンカットは、いつまでも脳裏に焼きついています。そして、最後に登場人物が語るある計画のことを何度も思い出し、「観たことを終わらせてくれない映画」になりました。

 

裕福な一家に最初にパラサイトする息子ギウ役 チェ・ウシク

 『パラサイト』のエンドロールに流れる「Sojo One Glass(焼酎一杯)」は、「映画が終わってもギウが生き続けていくことが感じられるような詞を書いた」というポン・ジュノ監督が、チェ・ウシクに歌わせたのだそうです。私は、この歌を聴きながら映画の中のギウと父親との関係を思い出しました。父をちゃんと立てる息子と息子を誇る父。半地下の家族には、理想的な親子像がありました。綺麗で少し切なさを感じる歌声に、父を慕うギウの想いが伝わってくるようでした。

 チェ・ウシクは、監督の前作『オクジャ/okja』にも出演しています。大企業の雇われドライバーで、面倒に巻き込こまれ、報道陣の前で悪態をついて仕事を辞める。ほんの端役ですが、最後にもう一度だけ登場し、「ああ、あの時のドライバーが」と気づいて嬉しくなる、ちょっと得な役どころでした。同時期に出演したのが『新感染 ファイナル・エクスプレス』。ぱっと見さえない高校野球部員で、女子マネージャーとふたり終盤まで生き延びる役。最初は頼りないけれど、彼女を守り抜くことに必死になっていく。でも、使命に燃えるでもなく、どこまでも普通っぽいところに好感が持て、異常な設定の映画にリアルさを感じさせてくれました。『パラサイト』ではストーリーを引っ張っていく重要な役どころ。でも、強烈な個性を醸し出すでもなく、低めの体温で飄々と演じているところが、やはり彼の持ち味。面白い俳優だなあと思います。

『パラサイト 半地下の家族』

2019年/韓国/監督・共同脚本:ポン・ジュノ(『グエムル –漢江の怪物-』『殺人の追憶』)/出演: ソン・ガンホ(『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』『グエムル –漢江の怪物-』『殺人の追憶』』、チェ・ウシク(『狩りの時間』『新感染 ファイナル・エクスプレス』)

2019年映画ベストテン

1.『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

2.『ラスト・ムービースター』

3.『荒野にて』

4.『ビール・ストリートの恋人たち』

5.『キューブリックに魅せられた男』

6.『あなたの名前を呼べたなら』

7.『THE GUILTY/ギルティ』

8.『ジョーカー』

9.『スパイダーマン:スパイダーバース』

10.『ファイティング・ファミリー』

2019年に観た映画といえば、まず、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について語りたくなります。1994年、『パルプ・フィクション』で時代の寵児となったクエンティン・タランティーノ。そして、同じく90年代中盤に『セブン』と『タイタニック』でスターの座を確実にしたブラッド・ピットとレオナルド・ディカプリオ。3人のタッグに、もうとにかく感無量。ピットとディカプリオは、初共演で共に成熟した俳優としての最高の演技を披露、落ち目の役者とそのスタントマンのバディものとして大いに楽しませてくれます。そしてタランティーノは、シャロン・テート事件という時代の闇の象徴のような悲劇を、事実とは違う結末で描くという大胆な業でひとりのハリウッド女優の魂を救ってみせました。映画に対する愛が爆発する「これぞタランティーノ映画」です。

同作でディカプリオが演じた役のモデルであるバート・レイノルズが、かつて一世を風靡したアクション俳優を自虐を込めてチャーミングに演じ遺作となった『ラスト・ムービースター』。ファンたちの計らいで彼の晩年に光が差すという温かさが大好きでした。

少年が馬に寄り添いながら荒野を漂流する姿が忘れられない『荒野にて』。ここ数年観た映画の中で一番つらいラストシーンだった『ビール・ストリートの恋人たち』。レオン・ヴィターリという人物を知る面白さから始まり、気が付けば、映画製作の神髄まで教えてくれた魅力的なドキュメンタリー『キューブリックに魅せられた男』。今年最も心ときめいた恋愛映画『あなたの名前を呼べたなら』。

緊急ダイヤル担当の警官が、電話相手とのやりとりだけで誘拐事件に迫る『THE GUILTY/ギルティ』は、観る側にも電話の向こうの視覚情報を全く与えない斬新な作りが見事でした。最悪の事態を想像した自分の脳内映像で気持ちが悪くなったり、序盤のセリフをラストまで完璧に覚えていたりと、あらゆる感覚が研ぎ澄まされた88分間でした。

『ジョーカー』は、人から徹底的に疎まれ、社会から徹底的に疎外されたひとりの男の哀しみを体現したホアキン・フェニックスに圧倒され、目の前に映るすべてのシーンから一瞬たりとも目を逸らしてはいけないという思いに駆られた映画でした。一方、仲間同士の結束で、それぞれが自己の存在意義を見出し活躍する『スパイダーマン:スパイダーバース』は、アニメーションならではの方法でキャラクターたちの多様性を表現。今、観るべき、2本のアメコミ映画です。

WWEで活躍した女子レスラー ペイジの実話に基づいた『ファイティング・ファミリー』は、サクセス・ストーリーとしても勿論面白かったのですが、妹の実力と情熱を誰よりも信じた兄の姿に泣けました。ペイジを演じるフローレンス・ピューのことは、パク・チャヌクのTVドラマ監督デビュー作「リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ」を観て以来ずっと気になっていました。スパイの次に女子プロレスラーを熱演、そして若草物語の四女エイミー役でアカデミ―賞助演女優賞ノミネート、『ブラック・ウィドウ』も控えるという目覚ましい活躍を見せる、勝気な太い眉と低音ボイスが印象的な注目の女優です。

『キューブリックに魅せられた男』

映画仕事人の幸福な人生

 スタンリー・キューブリックにまつわる2本のドキュメンタリーが、没後20年特別企画として日本で公開されました。製作上は関連性のない2本を、<全く正反対からのアプローチでキューブリックを描いたドキュメンタリーのカップリング上映>というコンセプトのもと、対をなす邦題&キーアートを生み出し、2本共通の体裁を活かした抜群にセンスのいいパンフレットを作り、好きな順番に2本続けて鑑賞できるような上映環境や、改めてキューブリック作品を観るきっかけを作ってくれた同企画上映。その1本『キューブリックに魅せられた男』は、キューブリックの制作助手レオン・ヴィターリの人生が途轍もなく興味深く、さらには映画制作の神髄まで教えてくれる素晴らしいドキュメンタリーでした。

レオンは役者としてキャリアをスタート。『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を観てキューブリックといつか仕事をすることを夢見、『バリー・リンドン』に出演が叶ったのち、役者としてではなく制作側で師の傍らにいたいと熱望。次に出演した映画を利用して制作の全過程に携わり、その経験を大量のレポートにしてキューブリックに懇願。熱意が実り助手として採用され、その後の全3本のキューブリック作品に関わったという人物です。

 関係者の証言から、レオンが俳優として有望だったことがわかります。周囲に惜しまれながら俳優業をやめた彼は、制作助手1本目にしてキューブリックから全面的信頼を得てしまいます。腕にまでメモを書きながら動きまわり、台本を完成させるために1000時間分のテープを書き起こす労力もいとわず、キューブリック作品の世界各国のポスターデザイン監修や、作品を世に残すためのリマスター作業にも関わったレオン。その姿のすべてに自分の仕事への誇りとプライドが滲み出ていて、「私の仕事は、助手ではなく映画仕事人だ」というレオンの言葉が印象に残りました。

 パンフレットに掲載されたトニー・ジエラ監督のインタビューを読んで、この映画を観たレオンは初めて自分がやってきたことに気づいたこと、カンヌ映画祭で上映され、スタンディングオベーションにレオンが泣いたこと、一緒に観た彼の子供たちも感動して泣いていたことを知りました。本作には、キューブリック自身がレオンに一目置いた理由を語るシーンが登場します。この映画を観て、生涯の師が自分を心底認めてくれていたと知ったレオンの喜びは、どんなに大きかっただろうと思わずにはいられません。

 

映画の真の主役は?

『シャイニング』

 キューブリックの助手としてのレオン・ヴィターリの初仕事は、『シャイニング』のキャスティングだったそうです。レオンは、そこで驚くべき偉業を成し遂げました。ひとつは、幽霊の少女役にスティーヴン・キングの原作にはない“双子”を起用したこと(実際に演じたのは姉妹)。そしてもうひとつの偉業は、ダニーを演じる子役オーディションでダニー・ロイドを見いだし、演技指導も担当したこと。満足いくまで何十回も撮り直し、役者の精神を追い込む奇才の現場で、全く物怖じしないダニー少年と、その傍らにいつも必ずついているレオンの姿は、『キューブリックに魅せられた男』の中でも特に印象的で、ダニーの集中力を途切れさせないためのレオンの工夫には感動させられました。

 そんな撮影秘話を知ったあと、久々に『シャイニング』を観て、半狂乱に陥る小説家を怪演したジャック・ニコルソンの凄さ以上に、無垢さと邪悪さを見事に演じ分けたダニー少年の才能に目が釘付けになりました。特に、巨大迷路が舞台となるラストシーンのダニーの表情は凄い。憑りつかれた小説家の成れの果て、ではなく、「怪異な存在」に最も近いダニーがみせた自らの力でそれを振り払う勇気、が、強烈に残る映画になりました。

『キューブリックに魅せられた男』

2017年/アメリカ/監督・撮影・編集:トニー・ジエラ(『My Big Break』)/出演:レオン・ヴィターリ(『バリー・リンドン』) ライアン・オニール(『バリー・リンドン』『ある愛の詩』)

『シャイニング』

1980年/イギリス/監督・製作・脚本:スタンリー・キューブリック(『時計じかけのオレンジ』『2001年宇宙の旅』)/出演:ジャック・ニコルソン(『アバウト・シュミット』『カッコーの巣の上で』) シェリー・デュヴァル(『ポパイ』)

『イエスタデイ』

人には必ず それぞれに与えられた役割がある

 もしも世界中にビートルズを知っている人が自分ひとりになってしまったら?そんな奇抜な設定で、ミュージシャンになる夢を諦めかけていた主人公ジャックの奇想天外な体験が描かれます。大胆な題材なのに大仰さがなく、観た後に誰かと気持ちを共有したくなる、そんな素敵な映画です。

 地元でマネージャーとして彼を支えていた幼馴染のエリーが、今やスターとなったジャックへ秘めていた想いを吐露するシーンが印象的でした。自分は、あなたにとって永遠にマネージャー枠に収まる存在なのよねと叫ぶエリー。ジャックは、そんな枠なんてないと反論しますが、エリーにとっては、何度も気づいては悩んできたこと。簡単に否定されたくはなかったでしょう。彼の中での「自分枠」を潔く認めて受け入れている彼女は、凛としていてかっこいい。直後の空港のシーンで、ファーストフードを食べながらため息をつくエリー。その後のライブシーンで、観客のひとりとして彼の音楽を誇らしげに聞き入るエリー。思い通りの枠じゃなくても、変わらず彼の音楽の一番の理解者でいられる彼女の真っ直ぐさがハッピーエンドに繋がります。リリー・ジェームズが、『ベイビー・ドライバー』とは違うキュートさで主人公の心の拠り所となるミューズを好演します。

 自分の枠を認めて行動すること。これは、この映画から受けるメッセージです。素晴らしい音楽を作り歌うスターがいれば、その音楽を伝える仕事を担う人もいる。それぞれに与えられた役割があり、その役割を受け入れ全うすることで、その先にきっと思いがけないご褒美が待っている、と、この映画は語りかけます。恋愛においても誰かの「2番手」という枠でいることだって素敵なんだよ、という粋なシーンが好きでした。

 脚本を手掛けたのはリチャード・カーティス。イギリス映画における良作の保証印のような存在で、恋人や家族と過ごす何気ない日常の大切さを描く特徴は本作でも活きています。そして、監督はダニー・ボイル。『トレインスポッティング』でイギリス映画史に新風を吹かせ、2012年ロンドン五輪では開会式総合演出という大役を見事にこなし、本作では、映画を通じてビートルズの音楽の素晴らしさを改めて伝えるという役割を、カーティスと共に果たしました。

 

今日という日を最高に楽しむ秘訣とは

『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』

 リチャード・カーティスの脚本による映画の中で、奇抜な設定を持つという点で『イエスタデイ』に似ているのが『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』。主人公のティムの家系の男たちには、代々タイムトラベル能力が備わっているのです。

 21歳の誕生日にその秘密を父から聞かされたティム。不器用で奥手な彼は、その能力のおかげで運命の彼女と無事に結ばれ、人のよさが仇となって時々失敗しながらも、愛に溢れる人生をふたりで育んでいきます。

本作の幹となっているのは父と息子の物語。父が教えてくれた幸せになる秘訣をティムが実践するシーンは本作のクライマックスです。実は『イエスタデイ』にも、幸せになる2つの秘訣、が登場します。決して特別なことではなく、誰もが幸せになれるはずと気づかせてくれるのが、カーティス脚本のマジックです。

 長時間現場仕事に没頭しながら日常のありがたみを実感することは困難、歳をとるにつれ何気ない時間の大切さが身に沁みるから、と、監督業卒業宣言をしたカーティス。これからは脚本業に専念して頂き、家族や友人との時間の中でこそ生まれる物語や台詞で、観終わった後、ふだんの日常が愛おしくなるカーティス脚本映画を楽しみに待っていたいです。

『イエスタデイ』

2019年/イギリス/監督:ダニー・ボイル(『スラムドッグ$ミリオネア』『トレインスポッティング』)/脚本:リチャード・カーティス(『ブリジット・ジョーンズの日記』『ノッティングヒルの恋人』)/出演:ヒメーシュ・パテル リリー・ジェームズ(『ベイビー・ドライバー』「ダウントン・アビー」)

『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』

2013年/イギリス/監督・脚本:リチャード・カーティス(『パイレーツ・ロック』『ラブ・アクチュアリー』)/出演:ドーナル・グリーソン(『レヴェナント:蘇えりし者』『アンブロークン 不屈の男』) レイチェル・マクアダムス(『スポットライト 世紀のスクープ』『きみに読む物語』)

『ガタカ』

ラインナップがいつも楽しみな 立川シネマシティの【第2金曜極音ナイト】

 本作の日本劇場初公開は1998年。立川シネマシティの【第2金曜極音ナイト】で、約20年ぶりにスクリーンで鑑賞しました。

 立川シネマシティは私が一番足を運ぶ映画館。行きたくなる理由のひとつがこのような企画上映の存在です。【極音ナイト】は、音楽が重要な作品を極上の音響調整をかけて原則ワンナイトオンリーで上映するイベントで、これまでも『パリ、テキサス』『あの頃、ペニー・レインと』『シュガーマン 奇跡に愛された男』などを鑑賞。この企画の編成担当者は、私の「スクリーンでもう一度観たい映画リスト」をご存知なのではと思ってしまいます。

『ガタカ』は、幅広い世代で満席に近い状態でした。カルト的人気を持ち今でも語られる映画なので、何かきっかけがあって初めて観にきた人もいたことでしょう。

 レトロフューチャーな未来描写。マイケル・ナイマンの旋律。フランク・ロイド・ライトの建築物。1本の映画からさまざまなジャンルに関心を持ったことを、懐かしく思い出しました。ジュード・ロウが初めて登場するシーンの息を飲む美しさや、イーサン・ホークとユマ・サーマンの視線の交わし方など、強烈に覚えていることをひとつひとつ確かめる楽しさも満喫しました。

 なかでも、私にはひと際楽しみにしていたワン・シーンがありました。それは、主人公ビンセントと弟のアントンが海に飛び込んで度胸試しの遠泳を競い、遺伝子的に優れている弟にビンセントが奇跡的に勝つシーン。荒々しい海に漂うふたりを空から月の光が照らす中、勝った理由を問われて答えるビンセントの台詞に、今回も胸が熱くなりました。遺伝子操作で生まれながらに人間の優劣が決められる未来を舞台にスリリングなサスペンスを描きながら、この映画が最も描きたかった「誰かに自分の人生を方向づけられることを頑なに拒否した主人公の強さ」が、このシーンに込められていると思います。映像美や造形、CG効果など視覚的な部分に引き込まれるSF映画において、心がぐっと掴まれたエモーショナルなシーンとして必ず思い出します。

 本作で監督・脚本デビューを飾ったアンドリュー・ニコルは、次にジム・キャリー主演『トゥルーマン・ショー』の脚本を手がけ、水恐怖症の主人公を嵐の海に放り込み、必死にボートを漕ぎ続ける姿で運命を切り開く人間の強さを表現しました。今も新作を期待している監督兼脚本家です。

 

SF映画におけるエモーショナルなシーン

『エクス・マキナ』

 ケイレブは、世界シェア率No.1を誇る検索エンジンの運営会社ブルーブックの社員。社内抽選に当たり、CEOのネイサンの別荘に招待され、そこで、秘密裏に行われていたAI エヴァの実験に加担させられます。

 AIが人間の意図に反し、進化した時に起こる反乱や不幸を描く傑作SF映画はいくつもありますが、『エクス・マキナ』は、AIの脳の原理を検索エンジンと設定したことで展開が現実味を帯び、人口知能に対する潜在意識を試される、SF映画の新境地を開いた1本だと思います。

 エヴァの存在に心が乱されていくケイレブ。そして、ネイサンが本当は何をテストしていたのかがわかり、人間の恐ろしいエゴと、その結果の未来を突き付けられるラストへと向かっていきます。

 エヴァの思考形態は、パターン化し、同時に混乱していきます。困惑する表情は、ケイレブへの挑発にも見えるし、彼女のなかで変化が起こっている証拠にも見えてきます。時にエロティックに、時に少女のようにエヴァを演じたアリシア・ヴィカンダーが本当に素晴らしい。ラスト近くに、一瞬だけ、それまでエヴァが一度も見せたことのない表情をするシーンがあります。その一瞬の表情を見逃さないで下さい。

『ガタカ』

1997年/アメリカ/監督:アンドリュー・ニコル(『ANON アノン』、『トゥルーマン・ショー』脚本)/出演:イーサン・ホーク(『6才のボクが、大人になるまで。』『いまを生きる』) ユマ・サーマン(『キル・ビル』『パルプ・フィクション』) ジュード・ロウ(『クローサー』『コールド マウンテン』)

『エクス・マキナ』

2016年/イギリス/監督:アレックス・ガーランド(『アナイアレイション -全滅領域-)/出演:ドーナル・グリーソン(『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『ブルックリン』) アリシア・ヴィカンダー(『光をくれた人』『リリーのすべて』) オスカー・アイザック(『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』) ソノヤ・ミズノ(『クレイジー・リッチ!』『ラ・ラ・ランド』)

『フリーソロ』

ドキュメンタリーにおける 撮る側と撮られる側との絶対の信頼関係

 カリフォルニア州ヨセミテ国立公園に立つ山、エル・キャピタン。ほとんど垂直にそびえ立つ高さ975mの断崖絶壁に、ロープ無し、素手で登りきるフリーソロというクライミング・スタイルで挑んだ登山家アレックス・オノルドの、1年以上の準備期間から成功までを追ったドキュメンタリーです。

 フリーソロを実践しているクライマーには命を落としている者が多いらしく、エル・キャピタンという山の恐ろしさについてのプロたちの証言も挿入される一方で、「ロープ有りで何度も成功していることは、ロープ無しでも物理的に可能」と笑みを浮かべるアレックス。そして彼は、こうも言います。「落ちて怪我をしても、再び登ることができる人もいる。自分は無理。落ちたら終わり。そのあとなんてない」。彼にとってクライミングとは、成功か失敗、生か死、どちらか一方のみ。前人未到の偉業を達成できる彼の、併せ持つ冷静さと激しさに圧倒されます。

 撮った側への興味が尽きない映画でもありました。エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ監督にとって、この映画を撮る原動力は「クライマーの感情への興味」。そして、そんな妻と共に監督を務め撮影も担当したジミー・チンにとって、この映画は彼自身のクライマーとしての経歴の延長線上に出現した新しい挑戦でした。岩壁に事前にカメラを設置、あるいはロープを装着して登りながらの撮影など緻密な計画を立て、カメラマンたちは5か所のポイントで、無線で連絡を取りながらアレックスを待ち構えます。アレックスだけでなく、ジミーたちクルーにとっても失敗は許されないたった一度の本番勝負だったのです。

 この監督コンビは、本作で第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞。次作は、2018年にタイで起きたタルムアン洞窟遭難事故の映画化に挑むようです。洞窟に閉じ込められた地元サッカーチームの少年たちとコーチの大規模な救出作戦は日本でも大きく報道され、2人のイギリス人ダイバーの活躍の様子は強烈に記憶に残っています。結末がわかっていながらも、本作同様、緊張感溢れる映像の中で人間の持ちうる力の凄さをまざまざと見せつけてくれる映画が、この監督コンビなら確実に期待できると思い、今から楽しみです。

 

35人の女優たちの素顔

『デブラ・ウィンガーを探して』

 撮る側と撮られる側との信頼関係が興味深いドキュメンタリーとしてすぐに思い出したのが『デブラ・ウィンガーを探して』です。映画業界から去った女優デブラ・ウィンガーは、なぜ引退を選んだのか。家庭と仕事は両立できる?犠牲を払いながら演じる意味は?私は女優として苦しみながらもなぜ続けようとするの?そんな疑問を同業の女優たちに投げかける、ロザンナ・アークエットの初監督作品です。

 現役の女優たちがカメラの前で正直になる理由は、撮る側のロザンナ・アークエット自身が相手に自分をさらけ出すから。結婚に失敗し、シングルマザーとして格闘し、話題作への出演で波に乗る妹パトリシアと比較されるそんな今の境遇をあけすけに語り、同時に、カメラを向ける女優ひとりひとりを熱くリスペクトする彼女の姿勢が、34人もの女優たちの人生を垣間見る濃厚な内容を1本の作品として見事に成立させます。

 製作は2002年。劇場公開当時よりも今観る方が、女優たちの顔ぶれの豪華さに驚きます。「女優は整形手術に走っちゃいけないのよ。50代の女が必要な映画に50代に見える女優がいなかったら大変。今を耐えれば、10年後に私が役を独り占めよ」。本作の中で、そう言って笑ったフランシス・マクドーマンドが、50代最後の出演作『スリー・ビルボード』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。そんな、「今観るから面白い」に満ちたドキュメンタリーでもあります。

『フリーソロ』

2018年/アメリカ/監督・製作:エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ(『MERU/メルー』)/監督・製作・撮影:ジミー・チン(『MERU/メルー』)/出演:アレックス・オノルド、トミー・コールドウェル、サンニ・マッカンドレス

『デブラ・ウィンガーを探して』

2002年/アメリカ/監督:ロザンナ・アークエット(『グレート・ブルー』出演)/出演:34人の女優たち

『荒野にて』

主人公を不幸にしないでと ひたすら祈り続けた映画

 この映画は、きっと2019年のマイ・ベストワンになると思います。映画館で二回観て、同じところで泣きました。昨年1月のニューヨーク旅行中に入った映画館で本作の予告編が流れ、心惹かれたことを今でも鮮明に覚えています。アメリカ公開から1年遅れましたが、日本でも観ることができ、心から嬉しかったです。

 画の構図が本当に素晴らしい。例えば、冒頭の朝食シーンでは、その印象的な構図だけで、身勝手な父と、父が自分を必要としていることを自覚している息子チャーリーとの関係が見事に表現されます。食事のシーンでいえば、父の代わりに働くチャーリーと、雇い主デルとのダイナーのシーンは、ふたりが横並びに位置することで、チャーリーが珍しく大人の前で無防備になっている様子が伝わり、砂漠を放浪するチャーリーを招き入れてくれた一軒家での夕食シーンは、「ここは僕の居場所じゃない」という気持ちが聞こえてくるような落ち着かなさ。街のホームレス施設での食事シーンでは、大勢の中に埋もれる少年という構図で彼の孤独を表現していました。

 そして、何といっても、荒野をゆくチャーリーとピートの、風景の中での構図です。競走馬として役に立たなくなり処分場へ送られることが決まったピートを、チャーリーは、無断でトレーラーに乗せて競馬場から連れ出します。そこから始まる、ポートランドからはるか東ワイオミングへと向かう果てしない旅。時に彼らの姿は自然に飲み込まれるほど小さく、その過酷さに、観ながら胸が苦しくなり、時に大自然すら背景に過ぎなくなるほど彼らが親密に寄り添うと、互いに必要とし合うふたつの魂の共鳴をそこに見るのです。

 旅をしながら、チャーリーはピートに話し続けます。以前は学校に通いフットボールチームで活躍していたこと。クラスメートに連絡しないのは今も楽しくやっていると思われたいからということ。母の写真を捨てた日。父を救えなかった悔しさ。そして、ピートに「大丈夫、約束する」とささやきます。それは、彼がずっと誰かにかけてもらいたかった言葉。そのことに気づかされるラストが、この映画には待ち受けています。

 

15歳の不安と覚悟

『SWEET SIXTEEN』

 『荒野にて』の主人公チャーリーは、自分の居場所をひたすらに探し求めた15歳の少年でしたが、一貫して労働者階級や社会的弱者を見つめ続けるイギリスの監督ケン・ローチの映画『SWEET SIXTEEN』は、自分が今いる場所から必死に抜け出そうとする15歳の少年リアムが主人公です。産業が衰退し、失業問題や麻薬売買が深刻なスコットランドのさびれた街で育ったリアムは、持ち前の機転と度胸で、周囲の負け犬たちと距離を置きます。しかし、張り巡らされた犯罪の連鎖をかわすには、リアムは、優し過ぎました。「夢みるのは危険だ」と大人たちから脅かされ、どんな可能性をも塞がれて特定の生き方に押し込められてしまう子供たち。透明な彼らの瞳には、隠しようもないありのままの現実が反射しています。

 『荒野にて』のチャーリーと『SWEET SIXTEEN』のリアムとは、ラストで置かれる状況が全く違います。けれども、映画の最後、後ろ姿の少年が立ち止まり振り返るという偶然にも同じようなシーンで見せる、ふたりの少年の表情が似ているのです。そこには、これからの人生への不安と同時に、揺るぎない覚悟が滲み出ていました。演じるふたりの俳優の演技力に、心から脱帽です。

『荒野にて』

2017年/イギリス/監督・脚本:アンドリュー・ヘイ(『さざなみ』『WEEKEND ウィークエンド』)/出演:チャーリー・プラマー(『ゲティ家の身代金』) スティーヴ・ブシェミ(『ファーゴ』『レザボア・ドッグス』) クロエ・セヴィニー(『ボーイズ・ドント・クライ』『KIDS』)

『SWEET SIXTEEN』

2002年/イギリス=ドイツ=スペイン/監督:ケン・ローチ(『わたしはダニエル・ブレイク』『ケス』)/出演:マーティン・コムストン(『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』『アリス・クリードの失踪』)

『ビール・ストリートの恋人たち』

ラストシーンに救われてもいいのか ずっと悩み続けている映画

 手を繋ぎ肩を寄せあって川沿いを歩く若い恋人たちが、足を止め、向き合い、顔を近づける。そして、互いを見つめるそれぞれの顔が交互にアップになった次のカットで、ふたりが壁ガラスで遮られている刑務所の面会シーンに変わります。目の前にいるのに、触れ合うことができないふたりのつらさが一瞬にして伝わるオープニングで、私はこの映画が好きだと確信しました。

 映画の中では、現在の時間軸が進行しながら、同時に、ヒロインの1人称で、恋人との過去から現在までの年月が語られていきます。彼女が辿る記憶から、彼女がゆっくり着実に、彼への想いを確かめてきたことがわかり、同時に、彼が彼女のことをどんなに大切にしてきたかも知ることになります。だからこそ、身に覚えのない罪で捕まった彼が面会室のガラス越しに彼女と向き合うシーンに胸が激しく締め付けられるのです。ふたりの心情を包み込むように流れる旋律が印象的で、『ムーンライト』に続いてバリー・ジェンキンス監督と組み本作のスコアを担当したニコラス・ブリテルは、デイミアン・チャゼル監督『セッション』を共同プロデュースした1980年生まれの若手作曲家であることを知り、憶えておきたい名前になりました。

 最近実在する人物を主人公にした映画を観ることが多かったからか、この映画の邦題が持つ匿名性の響きの新鮮さに、観る前から惹かれていました。そして実際、作品に寄り添う素晴らしい邦題だと思いましたが、映画のラスト、原題「IF BEALE STREET COULD TALK」が文字で画面いっぱいに映し出された時には、原題の意味に気づき、息を飲みました。この映画の悲劇は差別主義者である白人警官の理不尽な行為ですが、もし仮に、真相を知る人物が存在していたとしても、差別と圧力に満ちた社会ではその人物の証言が必ずしも無実の罪を正す方向にむかうとは限らないでしょう。そうなると、誰もが真実だと納得せざるをえないのは、「人ならざるものの声」以外ないのかもしれません。

 名もない恋人たちの運命が、人種偏見の残酷さを静かに訴えるこの映画。私は、その運命のあまりもの過酷さに苦しい思いから逃れられませんでした。ふたりの揺るぎない愛と不屈の姿を描くラストシーンに、救われてもいいのかどうか、ずっと悩み続けている映画です。

 

映画の中の強烈な母親像

『6才のボクが、大人になるまで』『フェンス』『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』

 『ビール・ストリートの恋人たち』でヒロインの母親を演じたレジーナ・キングは、同作で第91回アカデミー賞助演女優賞を受賞しました。娘の恋人の無実を晴らそうと、たったひとりで危険な賭けに出る。わずかな時間のそのシーンで、娘が幸せになることをただ一心に願うゆえの強くも脆い母親の姿を強烈に印象づけました。彼女の賭けは、失敗し、最悪の状態で終わります。「しくじった・・・」と呟き、歯を食いしばる表情が脳裏に焼き付きました。

 ここ数年のアカデミー賞では、映画の中で記憶に残る母親像を体現した女優たちが次々に助演女優賞を受賞しています。『6才のボクが、大人になるまで』で、母親役を12年間演じきったパトリシア・アークエット。『フェンス』のラストの長台詞で神懸った演技を見せたヴィオラ・デイヴィス。『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』で不気味な母親役が怖いほどはまったアリソン・ジャネイ。そして今年、レジーナ・キングがその栄誉に加わりました。彼女たちの圧巻のシーンのためだけにでも、もう一度、映画を観たくなります。

『ビール・ストリートの恋人たち』

2018年/アメリカ/監督・脚本:バリー・ジェンキンス(『ムーンライト』)/出演:キキ・レイン ステファン・ジェームス(『栄光のランナー/1936ベルリン』) レジーナ・キング(『Ray/レイ』)