『パラサイト』のエンドロールに流れる「Sojo One Glass(焼酎一杯)」は、「映画が終わってもギウが生き続けていくことが感じられるような詞を書いた」というポン・ジュノ監督が、チェ・ウシクに歌わせたのだそうです。私は、この歌を聴きながら映画の中のギウと父親との関係を思い出しました。父をちゃんと立てる息子と息子を誇る父。半地下の家族には、理想的な親子像がありました。綺麗で少し切なさを感じる歌声に、父を慕うギウの想いが伝わってくるようでした。
最近実在する人物を主人公にした映画を観ることが多かったからか、この映画の邦題が持つ匿名性の響きの新鮮さに、観る前から惹かれていました。そして実際、作品に寄り添う素晴らしい邦題だと思いましたが、映画のラスト、原題「IF BEALE STREET COULD TALK」が文字で画面いっぱいに映し出された時には、原題の意味に気づき、息を飲みました。この映画の悲劇は差別主義者である白人警官の理不尽な行為ですが、もし仮に、真相を知る人物が存在していたとしても、差別と圧力に満ちた社会ではその人物の証言が必ずしも無実の罪を正す方向にむかうとは限らないでしょう。そうなると、誰もが真実だと納得せざるをえないのは、「人ならざるものの声」以外ないのかもしれません。