フェラーリ

自動車メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリが最も苦境に陥った1957年。業績不振で会社経営は危機に瀕し私生活も破綻。窮地の彼が起死回生をかけて挑んだレース“ミッレミリア”の真相と、その後の顛末が描かれます。

車体のフェラーリ・レッドは目の覚めるような美しさ。でも、車体が路面に作り出す黒い影が全体を覆っているようなイメージが残る、暗く危うく緊張感に満ちた人間ドラマです。

そして夫婦のドラマ。

監督はマイケル・マン。『ヒート』のアル・パチーノとロバート・デ・ニーロ、『インサイダー』のラッセル・クロウとアル・パチーノなど、2人の男の緊迫感あふれる対決を描く作品が多いですが、本作は、アダム・ドライバーとぺネロ・クルス、男女ふたりの俳優の演技が見どころです。

アダム・ドライバーは、『ハウス・オブ・グッチ』に続く容姿を活かした役どころでカリスマのプライドと焦りを体現。そして、幼い息子との会話シーンで、車に乗って勝つことより車の構造を理解して早く走らせることが好きという自分の話に、熱心に耳を傾ける息子が愛おしくて仕方ないという演技が印象的。一貫して冷徹な人物として描かれるフェラーリの、別の一面が現れます。

そして、共同経営者であり妻であるラウラを演じたペネロペ・クルス。疲れ果て常に怒りに満ちた形相の彼女が、ある決断を夫に話す映画のラスト近くの長台詞シーンで、はっとするほど美しく輝きます!女として、母としての強い生き様に惚れ惚れしました。まさに『オール・アバウト・マイ・マザー』です。

(2023年製作/アメリカ映画/監督:マイケル・マン )

クワイエット・プレイス:DAY 1

「音を立てたら即死」というキャッチコピーがインパクトを放った『クワイエット・プレイス』。音を立てるもの全てに襲いかかる“何か“が大群で現れ、世界が崩壊するなか、“沈黙”を守り生き抜こうとする者たちを描くサバイバル・ホラー。本作はシリーズ3作目にして1作目の前日譚です。

異常な状況のなか、身重の女性が出産し、家族を守り、今度は子供たちが家族を守ることで成長するのがシリーズ1作目と2作目。極限状態の中だからこそ描ける“母の強さ“にシビれました。このシリーズが好きなのは、恐怖の要素以上に感情に訴えてくる、エモーショナルなところなのです。

そして本作は、重い病気を抱えた女性が主人公。彼女の行動に意表を突かれます。それは、生き抜くためのサバイバルじゃない。救助の先に向かって全生存者が逃げるなか、彼女だけが逆の方向に、人とぶつかりながらも走り続けます。世界の終わりを知るDAY 1に、彼女はどこに向かおうとして、何をしようとするのか。それが終盤になってわかった時、目頭が熱くなりました。

偶然出会ったイギリス人青年との間に生まれた絆にもシビれます。そして、彼女の相棒の猫!猫は、鳴かず音も立てずに歩くので、平常心の象徴であり癒しとなって存在し続けます。ふと姿が見えなくなっても、彼女が必要とした時に必ず戻ってきて、傍にいてくれました。

(2024年製作/アメリカ映画/監督: マイケル・サルノスキ )

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

観終わったあと、3人が過ごしたクリスマス休暇のひとコマひとコマを思い出し、心が満たされ続けました。あー、大好きな映画!

堅物の古代史教師ハナム。飛びぬけて成績優秀だが反抗的な生徒アンガス。ベトナム戦争で息子を失った料理長メアリー。3人とも無愛想で警戒心が強いので小さな衝突ばかり。でも、すでに第一印象から3人は気持ちが通じ合うことがわかるので、心の距離が少しずつ近づいていく過程を、ゆっくり見守ります。

やがて知ることになる、3人それぞれが抱える痛み。

この映画は、登場人物たちの心のロードムービー。舞台は殆どが3人が居残る校舎の中なのに、何て奥行を感じる映画なのだろう。それぞれのこれまでの人生の道のりがここに行き着き、この校舎で交差し、そしてまたそれぞれの人生の道がはじまる様子が見えてくるのです。

メアリー役タヴァイン・ジョイ・ランドルフに泣かされます。孤独と必死に闘っている人の手を握るメアリーの、無言の優しさ!

子供はやがて人生に飲み込まれる。だから今、できることをしてあげて。そんな台詞がでてきます。でも、大人も否応なく人生に飲み込まれることがあります。そんな時に、ふと思い出し、自分を保てるような、こんな数日間の休暇を過ごせたら最高です。

(2024年製作/アメリカ映画/監督: アレクサンダー・ペイン )

あんのこと

2020年に新聞の三面記事に掲載された実話に着想を得たという映画。母親から壮絶な虐待を受け続け、ドラッグに溺れた杏が、型破りな刑事と訳ありな週刊誌記者に出会い、更生の道を歩き始めますが、過酷な現実に直面します。

杏を演じる河合優実が凄くいい!

映画『由宇子の天秤』『サマーフィルムにのって』、テレビドラマ「17才の帝国」と、脇役ながら存在感のある彼女を続けて見て、俄然注目したのが2年前。そして今年。テレビドラマ「不適切にもほどがある!」のハマり役で波に乗った!

この映画のヒリヒリとした痛みは、河合優実が杏として確かに存在しているからこそ受ける感触。憤りをぶつける気迫にあふれた激しいシーンも印象的ですが、学校に通えるようになり、夢中で勉強している時に口元がほころぶ様子や、一字一字刻むように日記をつける時の指の動きなど、繊細な表現に心を鷲掴みにされます。

だから、杏に人生の希望を見出してもらいたいと必死に祈ってしまうし、杏のような少女ひとりすら救うことができない大人たちが本当に情けない!

杏を演じるにあたり「彼女と心の中でしっかりと手を繋いで、絶対に離さず、毎朝、今日もよろしく、いってきますとお祈りして撮影に向かっていました」というコメントを読んで、凄いなあと感動しました。最新作は、今年のカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞した『ナミビアの砂漠』での主演。9月の公開が待ち遠しいです。

(2024年製作/日本映画/監督:入江悠 )

ユニコーン・ウォーズ

とあるディストピアで繰り広げられるテディベアとユニコーンの聖戦を通して、争いの無意味さを描いたアニメーション映画です。

可愛い見た目ながら残酷でグロテスクな表現が全編を覆う驚き!

そして、監督が「『地獄の黙示録』と『バンビ』と聖書。この異なる要素を混ぜたら素晴らしい化学反応が生まれた」と語っている通り、「極限状態に陥った時の狂気」と「愛と成長」と「創世記」がひとつの映画の中で語られていながら、それらのメッセージが織りなって、ひとつの反戦映画ができあがっている凄さ!

テディベア軍のゴルディとアスリン、双子の兄弟が主人公です。優しく気弱な兄と憎しみの塊の弟。新兵訓練所から戦地へ、異常な環境の中で兄弟の心の葛藤は激しさを増します。戦争がなければふたりの関係は変わっていたかもしれない。ふたりの悲惨な最期が後を引きました。

今年のアカデミー賞で長編アニメーション映画賞にノミネートされ、日本では今秋公開される『ロボット・ドリームズ』もスペインの監督の作品で、ひとりぼっちのドッグが組み立て式ロボットを作り友情を深めていくが…というストーリーに、きっと好きな映画のはず!と既に確信。スペインのアニメーション、注目です。

2022年製作/スペイン・フランス合作/監督:アルベルト・バスケス

辰巳

辰巳という名の裏社会に生きる男が、姉を殺された少女・葵の復讐に付き合い、仲間を裏切り仲間に追われ、そして行き場を失っていく―。

チラシの写真の向き合うふたりの表情に無性に惹かれ、でも予告編を見てちょっと怖気づき、だけどやはり観たいと思うきっかけがあって映画館に行ってきました。

観てよかった!俳優たちが全身全霊で役を演じ、スクリーンの中にその登場人物を存在させ、役者がその人物として生きることの凄さに改めて感動する映画でした。辰巳を演じる遠藤雄弥と葵を演じる森田想が、もう、素晴らしくて素晴らしくて!辰巳と葵の強烈な存在感に圧倒されっぱなしでした。

役作りにあたって、監督から『レオン』だけは観ておいて欲しいと言われたので観たという森田想。彼女は、葵を演じることで、この映画の持つ過激さとピュアさを見事に体現しました。

2023年製作/日本映画/監督:小路紘史

システム・クラッシャー

困った。この映画のパワーを、自分が持っている引き出しの中にちゃんと収める自信がない。

システム・クラッシャーとは、大人の手に負えないほど制御不能で攻撃的な子供のこと。本作は、父親からのDVでトラウマを負った9歳の少女ベニーの、怒りと暴力が容赦なく爆発する日常を容赦なく描くドイツ映画です。

里親、グループホーム、特別支援学校、行く先々で問題を起こし追い出されてしまう。彼女のことを本気で考える大人も、自分の家族の方が大事、自分の精神状態の方が大事、それは仕方がない。ベニーは社会のどこにも居場所がなくなってしまうし、彼女自身もそのことはわかっている、でも、どうしようもない。

社会のシステムに折り合いをつけて生きている者の生半可な感情移入など許さない映画。でも、エンドロールに流れてきたニーナ・シモンの歌「Ain’t Got No, I Got Life」が素晴らしすぎて、希望を見つけずにはいられなくなり、気づいたら涙が止まらなくなっていました。

悪は存在しない

驚きのラスト!え?何が起きたの?どういうこと?
今もずっと、脳内でラストの解釈探しが続いています。

長野県の、自然に惠まれた町が舞台。森を下から見上げる冒頭の映像がとても神秘的、音楽もとても美しい。でも、展開するストーリーは不穏。観ていて気持ちがザワザワ、キリキリし続けます。

悪意のない言葉が相手を失望させる…そんな場面が何度もある映画でした。
そして、悪は存在しない、という映画のタイトルの意味が、はっきり分かったかと思えば、しばらくすると霧に包まれたかのように見失う、その繰り返しの映画でした。

花という名前の少女が、空を見上げ一点を見続けているシーンが印象に残ります。大人たちには見えていない何かが、少女には見えていたのかもしれません。

Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下の9階スクリーンで観ましたが、7階のフロアにはヴェネチア国際映画祭で本作が受賞した銀獅子トロフィーがディスプレイされていて、本物を間近で見ることができます!各国ポスターの展示もあり、近づいてよく見ると、ドキっとする発見がありました。

パスト ライブス/再会

どこかで読んだ「忘れられない人が思い浮かばない人生よりも、どうしても忘れられない人がいる人生の方が、 きっとずっと素晴らしい」という言葉を思い出しました。

人生にはいくつもの選択があったけれど、ひとつひとつ選んで今の人生に辿り着いた、その人生を大事に受け入れよう。映画の中のノラとヘソン、ノラとアーサー、それぞれのラストシーンに前向きな気持ちをもらいました。

映画の冒頭にスクリーンに出るタイトル“PAST LIVES”。邦題の表記「パスト ライブス」も、間の余白が特徴的です。

セリーヌ・ソン監督は、12歳で離れ離れになった幼馴染みのノラとヘソンの再会を、24歳と32歳、12年ごとにすることにこだわったり、ふたりのラストシーンの2ショットを、2分にこだわったと語っています。その緻密な時間へのこだわりが、この映画をきっと深くしているのだと思いますし、多くの余白が、優しさや寛容を感じ取れる映画にしているのだと思いました。

フォロウィング メメント

『フォロウィング』はクリストファー・ノーラン監督の長編デビュー作。現在・過去・未来を自在に操る時間演出と、モノクロ16ミリフィルム撮影で生まれる陰影の緊張感!ノーラン監督の原点、ここにあり!

主人公が状況把握に混乱していくに従って、時間が複雑に入り組んでいく。覚えていたはずの伏線が曖昧になっていく。『フォロウィング』は、記憶力を試される映画です。

そして、監督第二作目の『メメント』は、記憶を保てない状態を疑似体験する映画。

10分間しか記憶を保てなくなった主人公が、メモとポラロイドとタトゥーで自ら残していく「事実」を頼りに妻を殺した犯人を追うこの映画で、監督が取った編集技法は、時間の逆再生。そのテクニカルな面は勿論ですが、私はそれ以上にエモーショナルな面に俄然惹かれた映画でした。主人公は、「妻の復讐のために自分は生きている」と必死に呟く。それが彼にとっての生きるモチベーション。でも、犯人捜しは本当に可能なのか?復讐を果たしたとしても彼はそれを事実と受け入れるのか?彼の人生は、永遠に癒されることはない?

『フォロウィング』の、他人の生活を覗き見ることに囚われた男。『メメント』の、記憶し続けることに囚われた男。クリストファー・ノーランは、卓越した技術を持ち味にしながら、何かに囚われ、終わりのない苦しみを抱える人物を描き続けている監督なのではないかと、初期2作を改めて観て思いました。