『1917 命をかけた伝令』

駆け抜けた ふたりの役者魂

 日本でも劇場版が公開したTVシリーズ「ダウントン・アビー」は、イギリス郊外のダウントン邸に暮らす伯爵一家と使用人たちが織り成す人間ドラマで、時代を色濃く反映しながら物語が展開するところが見どころのひとつです。シーズン1は第一次大戦への英国宣戦布告で終わり、シーズン2は、西部戦線の凄まじい塹壕戦シーンから始まります。海外ドラマの魅力のひとつは、シーズンを通して登場人物ひとりひとりが丹念に描かれること。すっかり親近感を抱いた彼らが戦場で過酷な体験をする様子は、観ていて辛いものでした。

 『1917 命をかけた伝令』の舞台は、同じく第一次大戦下、膠着状態の西武戦線の英国軍。ふたりの若い兵士が、最前線にいる1600人の軍隊に明朝の攻撃の中止を伝えるため、8時間で戦線を駆け抜ける。映画が始まってから程なくして最初のドイツ軍塹壕跡を無事突破するあたりまでの間に、私はすっかりこのふたりに情が芽生えていました。物静かな年上のスコフィールド、愛嬌のある19歳のブレイク。目的の地へ一刻を争いながら無法地帯をただひたすら進むふたりだけでの任務で、積み重ねていく苦難の共有、短い会話。その時その時の行動や反応、表情で、それぞれの個性がはっきりと見えてくる面白さ。ふたりの心が通い合っていくことの嬉しさ。そして、思いもかけない展開を知った時のショック・・・。カメラが常に彼らに伴走するワンカット映像が特別な没入感をもたらし、ふたりへの思い入れで映画に没頭していきました。

 この映画におけるワンカット手法は、奇跡的な映像世界を生んだだけではなく、役者から、役がのり移ったような演技も引き出しました。本作の撮影準備には通常の映画の5倍の時間がかかり、そして、俳優は通常の50倍のリハーサル回数を重ねたそうです。「俳優たちはその間、演技が肉体の経験として積み重なっていく。舞台の場合、本番で同じ演技を繰り返すうちに表現が研ぎ澄まされ、役に命がこもるが、今回は映画でその過程を実感できた」と、サム・メンデス監督がインタビューで語っています。そして、スコフィールドとブレイクを演じたジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンも「カットなしで撮影していると、完全に我を忘れて、役になりきる」と語っています。そんな彼らの演技が、私を本作にのめり込ませてくれたのだと思います。

 配給会社が公開しているメイキング映像も必見です。俳優が360度見回すので照明器具が置けない問題をどう解決したのか。川のシーンで水面に不自然な波を立たせないためカメラクルーはどう動いたのか。センチ単位で正確さを求められたセットのサイズ。繰り返される段取りの確認。そんなスタッフたちを信頼しながら、自分が果たすべき役割に全力を尽くし前へ前へと走り続けた俳優たち。本作が心に深く響いた理由を、はっきりと知ることができました。

 

ワンカット手法が表現しうること

『ウトヤ島、7月22日』

 昨年のちょうど同じ時期にも、ワンカットという手法を用いた映画を観ました。『ウトヤ島、7月22日』です。単独犯による史上最悪の短時間大量殺人事件となった2011年7月22日のノルウェー連続テロ事件。犯人は、ウトヤ島でキャンプ中の300人の若者たちに無差別に銃を乱射。69人が命を落とした惨事を、ひとりの高校生を主人公に事件の経過と同じ72分をワンカットで描いた作品です。 

 この事件を描くべき唯一の手法だった、と、ノルウェー出身のエリック・ポッペ監督は語っています。「映画と観客の間を隔てるものは何も置かない、と決めた」。周囲のパニック状態、銃声と悲鳴、近づいてくる犯人の気配。誰もがただ逃げるのに精一杯だったことに、映画を観て異を唱える人はいないはずです。この事件で生き残ったことに罪悪感を持っている人が多くいるという記事を読み、この映画が、何らかのかたちでその人々の心を救うことになるよう世の中に影響を与えてほしい、と、祈らずにはいられませんでした。

 ところで、TVシリーズ「ダウントン・アビー」のシーズン1第1話冒頭にも印象的なワンカット映像が存在します。朝、階下の使用人たちが機敏に邸内を移動しながら、階上の伯爵一家の目覚め前までに完璧に支度を整える。あたかも自分が彼らと一緒にダウントンを歩いている気分になり、これから始まるドラマへの期待が膨らみます。『劇場版 ダウントン・アビー』は、このコラムでも是非紹介したいと思っています。

『1917 命をかけた伝令』

2019年/イギリス・アメリカ/製作・監督・共同脚本:サム・メンデス(『007 スカイフォール』『アメリカン・ビューティー』)/撮影:ロジャー・ディーキンス(『ブレードランナー 2049』『ファーゴ』『ショーシャンクの空に』)/出演: ジョージ・マッケイ(『はじまりへの旅』)、ディーン=チャールズ・チャップマン(『リピーテッド』)、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ、アンドリュー・スコット

『ウトヤ島、7月22日』

2018年/ノルウェー/監督:エリック・ポッペ(『ヒトラーに屈しなかった国王』『おやすみなさいを言いたくて』)/出演:アンドレア・ベルンツェン

『パラサイト 半地下の家族』

嘘で終わらせない 正直な結末

 『殺人の追憶』を観た時の衝撃は今も忘れません。1986年ソウル近郊の農村で実際に起きた未解決連続殺人事件。犯人に翻弄され追い詰められていく刑事たちの焦りが、不穏な時代の空気を纏いながら伝わってくる映像描写。事件に永遠に取り憑かれてしまった刑事の顔が目に焼きつき、過去に囚われる恐怖について考え続けました。「観たことを終わらせてくれない映画」でした。2004年3月日本公開。ポン・ジュノ監督長編第2作です。

 そのあとに観た長編デビュー作『ほえる犬は噛まない』にも夢中になりました。シニカルでポップなストーリー展開は勿論、独創的な構図やディテールがいちいち面白い。マンションの左から右、上から下への追いかけっこ。雨合羽の少女の絶妙なフードの被り方。DVDには監督の絵コンテと本編のシーンを見比べる特典が収録されているのですが、ひとつひとつのカットに迷いのない完成形が存在することに気づき、『殺人の追憶』でも、土手の草むらから人の足元を見上げるような構図や、トンネルの向こう側に佇む人影の見せ方など、力のある画がいくつも存在したことを思い出しました。

 長編3作目の『グエムル-漢江の怪物-』は、家族の深い絆が時に滑稽に、時に常軌を逸して描かれる点と、女性(少女、あるいは母)のたくましさ、というポン・ジュノ作品の魅力がはっきり掴めた作品でした。そして、「食事のシーンが素晴らしい映画に傑作多し」という持論が確立した作品。家族が食卓を囲んでインスタント麺をすするシーンには鳥肌が立ちました。

 『パラサイト』は、国外製作が続いたポン・ジュノの『母なる証明』以来10年ぶりの韓国映画。世界が直面している格差社会への批判以上に、身近なところに強烈なドラマが潜んでいることの面白さをこの映画から受け取りました。ふたつの家族の対比の描写。裕福な一家への侵入を嬉々として楽しんでいた家族が、初めて憎悪や不安を抱いた瞬間。その時から表情が一変する役者たちの圧巻の演技。そして、想像を絶する展開に唖然となる快感。波のように押し寄せる映画の醍醐味にぐいぐい引き込まれていきました。

 来日インタビューで、ソン・ガンホがポン・ジュノ作品の特徴を聞かれ、「嘘で終わらせない正直な結末」と答えていたのが印象に残りました。『パラサイト』の結末に、私は、生存をかけた争いから抜け出せない半地下の家族に対するポン・ジュノ自身の祈りのような想いを見出したからです。心に突き刺さるようなエモーショナルなラストのワンカットは、いつまでも脳裏に焼きついています。そして、最後に登場人物が語るある計画のことを何度も思い出し、「観たことを終わらせてくれない映画」になりました。

 

裕福な一家に最初にパラサイトする息子ギウ役 チェ・ウシク

 『パラサイト』のエンドロールに流れる「Sojo One Glass(焼酎一杯)」は、「映画が終わってもギウが生き続けていくことが感じられるような詞を書いた」というポン・ジュノ監督が、チェ・ウシクに歌わせたのだそうです。私は、この歌を聴きながら映画の中のギウと父親との関係を思い出しました。父をちゃんと立てる息子と息子を誇る父。半地下の家族には、理想的な親子像がありました。綺麗で少し切なさを感じる歌声に、父を慕うギウの想いが伝わってくるようでした。

 チェ・ウシクは、監督の前作『オクジャ/okja』にも出演しています。大企業の雇われドライバーで、面倒に巻き込こまれ、報道陣の前で悪態をついて仕事を辞める。ほんの端役ですが、最後にもう一度だけ登場し、「ああ、あの時のドライバーが」と気づいて嬉しくなる、ちょっと得な役どころでした。同時期に出演したのが『新感染 ファイナル・エクスプレス』。ぱっと見さえない高校野球部員で、女子マネージャーとふたり終盤まで生き延びる役。最初は頼りないけれど、彼女を守り抜くことに必死になっていく。でも、使命に燃えるでもなく、どこまでも普通っぽいところに好感が持て、異常な設定の映画にリアルさを感じさせてくれました。『パラサイト』ではストーリーを引っ張っていく重要な役どころ。でも、強烈な個性を醸し出すでもなく、低めの体温で飄々と演じているところが、やはり彼の持ち味。面白い俳優だなあと思います。

『パラサイト 半地下の家族』

2019年/韓国/監督・共同脚本:ポン・ジュノ(『グエムル –漢江の怪物-』『殺人の追憶』)/出演: ソン・ガンホ(『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』『グエムル –漢江の怪物-』『殺人の追憶』』、チェ・ウシク(『狩りの時間』『新感染 ファイナル・エクスプレス』)