ラストシーンに救われてもいいのか ずっと悩み続けている映画
手を繋ぎ肩を寄せあって川沿いを歩く若い恋人たちが、足を止め、向き合い、顔を近づける。そして、互いを見つめるそれぞれの顔が交互にアップになった次のカットで、ふたりが壁ガラスで遮られている刑務所の面会シーンに変わります。目の前にいるのに、触れ合うことができないふたりのつらさが一瞬にして伝わるオープニングで、私はこの映画が好きだと確信しました。
映画の中では、現在の時間軸が進行しながら、同時に、ヒロインの1人称で、恋人との過去から現在までの年月が語られていきます。彼女が辿る記憶から、彼女がゆっくり着実に、彼への想いを確かめてきたことがわかり、同時に、彼が彼女のことをどんなに大切にしてきたかも知ることになります。だからこそ、身に覚えのない罪で捕まった彼が面会室のガラス越しに彼女と向き合うシーンに胸が激しく締め付けられるのです。ふたりの心情を包み込むように流れる旋律が印象的で、『ムーンライト』に続いてバリー・ジェンキンス監督と組み本作のスコアを担当したニコラス・ブリテルは、デイミアン・チャゼル監督『セッション』を共同プロデュースした1980年生まれの若手作曲家であることを知り、憶えておきたい名前になりました。
最近実在する人物を主人公にした映画を観ることが多かったからか、この映画の邦題が持つ匿名性の響きの新鮮さに、観る前から惹かれていました。そして実際、作品に寄り添う素晴らしい邦題だと思いましたが、映画のラスト、原題「IF BEALE STREET COULD TALK」が文字で画面いっぱいに映し出された時には、原題の意味に気づき、息を飲みました。この映画の悲劇は差別主義者である白人警官の理不尽な行為ですが、もし仮に、真相を知る人物が存在していたとしても、差別と圧力に満ちた社会ではその人物の証言が必ずしも無実の罪を正す方向にむかうとは限らないでしょう。そうなると、誰もが真実だと納得せざるをえないのは、「人ならざるものの声」以外ないのかもしれません。
名もない恋人たちの運命が、人種偏見の残酷さを静かに訴えるこの映画。私は、その運命のあまりもの過酷さに苦しい思いから逃れられませんでした。ふたりの揺るぎない愛と不屈の姿を描くラストシーンに、救われてもいいのかどうか、ずっと悩み続けている映画です。
映画の中の強烈な母親像
『6才のボクが、大人になるまで』『フェンス』『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』
『ビール・ストリートの恋人たち』でヒロインの母親を演じたレジーナ・キングは、同作で第91回アカデミー賞助演女優賞を受賞しました。娘の恋人の無実を晴らそうと、たったひとりで危険な賭けに出る。わずかな時間のそのシーンで、娘が幸せになることをただ一心に願うゆえの強くも脆い母親の姿を強烈に印象づけました。彼女の賭けは、失敗し、最悪の状態で終わります。「しくじった・・・」と呟き、歯を食いしばる表情が脳裏に焼き付きました。
ここ数年のアカデミー賞では、映画の中で記憶に残る母親像を体現した女優たちが次々に助演女優賞を受賞しています。『6才のボクが、大人になるまで』で、母親役を12年間演じきったパトリシア・アークエット。『フェンス』のラストの長台詞で神懸った演技を見せたヴィオラ・デイヴィス。『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』で不気味な母親役が怖いほどはまったアリソン・ジャネイ。そして今年、レジーナ・キングがその栄誉に加わりました。彼女たちの圧巻のシーンのためだけにでも、もう一度、映画を観たくなります。
『ビール・ストリートの恋人たち』
2018年/アメリカ/監督・脚本:バリー・ジェンキンス(『ムーンライト』)/出演:キキ・レイン ステファン・ジェームス(『栄光のランナー/1936ベルリン』) レジーナ・キング(『Ray/レイ』)
