『荒野にて』

主人公を不幸にしないでと ひたすら祈り続けた映画

 この映画は、きっと2019年のマイ・ベストワンになると思います。映画館で二回観て、同じところで泣きました。昨年1月のニューヨーク旅行中に入った映画館で本作の予告編が流れ、心惹かれたことを今でも鮮明に覚えています。アメリカ公開から1年遅れましたが、日本でも観ることができ、心から嬉しかったです。

 画の構図が本当に素晴らしい。例えば、冒頭の朝食シーンでは、その印象的な構図だけで、身勝手な父と、父が自分を必要としていることを自覚している息子チャーリーとの関係が見事に表現されます。食事のシーンでいえば、父の代わりに働くチャーリーと、雇い主デルとのダイナーのシーンは、ふたりが横並びに位置することで、チャーリーが珍しく大人の前で無防備になっている様子が伝わり、砂漠を放浪するチャーリーを招き入れてくれた一軒家での夕食シーンは、「ここは僕の居場所じゃない」という気持ちが聞こえてくるような落ち着かなさ。街のホームレス施設での食事シーンでは、大勢の中に埋もれる少年という構図で彼の孤独を表現していました。

 そして、何といっても、荒野をゆくチャーリーとピートの、風景の中での構図です。競走馬として役に立たなくなり処分場へ送られることが決まったピートを、チャーリーは、無断でトレーラーに乗せて競馬場から連れ出します。そこから始まる、ポートランドからはるか東ワイオミングへと向かう果てしない旅。時に彼らの姿は自然に飲み込まれるほど小さく、その過酷さに、観ながら胸が苦しくなり、時に大自然すら背景に過ぎなくなるほど彼らが親密に寄り添うと、互いに必要とし合うふたつの魂の共鳴をそこに見るのです。

 旅をしながら、チャーリーはピートに話し続けます。以前は学校に通いフットボールチームで活躍していたこと。クラスメートに連絡しないのは今も楽しくやっていると思われたいからということ。母の写真を捨てた日。父を救えなかった悔しさ。そして、ピートに「大丈夫、約束する」とささやきます。それは、彼がずっと誰かにかけてもらいたかった言葉。そのことに気づかされるラストが、この映画には待ち受けています。

 

15歳の不安と覚悟

『SWEET SIXTEEN』

 『荒野にて』の主人公チャーリーは、自分の居場所をひたすらに探し求めた15歳の少年でしたが、一貫して労働者階級や社会的弱者を見つめ続けるイギリスの監督ケン・ローチの映画『SWEET SIXTEEN』は、自分が今いる場所から必死に抜け出そうとする15歳の少年リアムが主人公です。産業が衰退し、失業問題や麻薬売買が深刻なスコットランドのさびれた街で育ったリアムは、持ち前の機転と度胸で、周囲の負け犬たちと距離を置きます。しかし、張り巡らされた犯罪の連鎖をかわすには、リアムは、優し過ぎました。「夢みるのは危険だ」と大人たちから脅かされ、どんな可能性をも塞がれて特定の生き方に押し込められてしまう子供たち。透明な彼らの瞳には、隠しようもないありのままの現実が反射しています。

 『荒野にて』のチャーリーと『SWEET SIXTEEN』のリアムとは、ラストで置かれる状況が全く違います。けれども、映画の最後、後ろ姿の少年が立ち止まり振り返るという偶然にも同じようなシーンで見せる、ふたりの少年の表情が似ているのです。そこには、これからの人生への不安と同時に、揺るぎない覚悟が滲み出ていました。演じるふたりの俳優の演技力に、心から脱帽です。

『荒野にて』

2017年/イギリス/監督・脚本:アンドリュー・ヘイ(『さざなみ』『WEEKEND ウィークエンド』)/出演:チャーリー・プラマー(『ゲティ家の身代金』) スティーヴ・ブシェミ(『ファーゴ』『レザボア・ドッグス』) クロエ・セヴィニー(『ボーイズ・ドント・クライ』『KIDS』)

『SWEET SIXTEEN』

2002年/イギリス=ドイツ=スペイン/監督:ケン・ローチ(『わたしはダニエル・ブレイク』『ケス』)/出演:マーティン・コムストン(『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』『アリス・クリードの失踪』)